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裁判 ガボール(Gabor)
長く続いていたガボールの裁判が、去年ようやく終わりを迎えましたね。はたして結末はどうなったのでしょうか。そもそもなぜガボール裁判が起こったのでしょうか。
1988年にガボール・ナギー氏が立ち上げ、「シルバー界の首領」と呼ばれるほど世界に名を轟かせたブランドですが、実はそのガボールが2種類あったことをご存知でしたか?これが後に裁判が起こるきっかけとなった原因です。
1999年に創設者が亡くなり、主を失ったブランドは一時生産をストップすることになります。その後、妻であるマリア・ナギー氏が「ガボラトリー」としてブランドを再起動させますが、その際一部の職人と対立してしまいます。
そして2001年、工房の職人で弟子の一人であったスティーブ・ガーラックが「ガボール・インターナショナル」を立ち上げました。ブランドがガボラトリーとインターナショナルの2つに別れて、いわゆる本家と分家の跡目争いのようなものが起こってしまうのです。
ガボラトリーとインターナショナル2つに別れた事でそのブランド名はさらに広く知られるようになりますが、以前から利用していたユーザーたちは、同時に2つのガボールがあることに困惑したそうです。
ガボール裁判は、ガボラトリーとインターナショナルとの間で創設者亡き後の事業承継を巡って争われました。どちらも共に、彼の趣味趣向、持ち味、作品に対するプライドや情熱の理解者であり、正統な継承者を名乗る資格を有する優秀な職人達の集まりでした。
ガボール裁判で争点とされたのは、シルバーアクセサリーの立体的形状の商品等表示としての周知性、登録商標の無効の肯否、類似商標の使用と商標権の行使、商標の先使用の可否、商品等表示の先使用の可否、故意過失、損害論です。
判決内容は、インターナショナル社は今後「GABOR」「GABORATORY」商標を使用しない、インターナショナル社はガボラトリーの商品と同一の商品を製造、販売しない、インターナショナル社はオリジナル金型をガボラトリーに引き渡すというインターナショナル全面敗訴の判決でした。
シルバーアクセサリーの立体的形状については、創設者の没後事業が一時中断したという事情があったとしても需要者、取引者に広く認識されていたと認定され、インターナショナルは事業を承継していると反論しましたが、創設者の遺言書や署名の譲渡契約書などは証拠として採用されませんでした。
そしてインターナショナル社は解散し、「ガボール・インク・USA」として1つにまとまることが決定しました。現在の正式な商標をもっており、一括して生産管理を行っています。
現在のマリアサイドを支持していたユーザーにとっては、納得のいく判決だったのではないでしょうか。これでガボールの裁判は終了し、もう争いも無くなるのではないかと思います。結局のところユーザーに支持されているものが本物ということですね。